高卒で入った会社をやめた直後の僕は一時的に歩合給の仕事で成果を出したこともありある程度の期間生活できるだけの蓄えはありました。
そこで、僕は一度完全に働くということを放棄しました。
「今日までろくに休まずに毎日働いてきたんだ。
ここらへんで1回休んだとしても誰も文句は言わないだろう。」
そんなふうに思った僕は完全なるニート生活へと突入しました。
決まった時間に起きて、定時に会社に出社しなくてもいい。
これがいったいどれだけ幸せなことか、このときほど体感したことは後にも先にもありません。
そして、ニートになってまず僕が一番最初にしたかったこと、それは引っ越しでした。
会社の近くに住んでいたこともあり住環境を変えなければ過去のいまわしい記憶が蘇ってくる。
そう思った僕は退職後すぐに違う環境を求め、西麻布から東京都豊島区に移住。
気持ちを新たに新生活をスタートさせたのです。
ほぼ無計画のまま会社を辞めた僕は、まずは情報収集から開始しました。
ブラック企業でのトラウマを抱えた僕は会社員時代は休みなく会社に通い詰めることで心身ともに疲弊していました。
そこで、
「今度はどうにか会社に行かずに稼げる方法はないだろうか?」
そんな後ろ向きなモチベーションで次なる一手を探し続けました。
Googleで「独立 稼ぐ」などのキーワードを検索してみる
副業雑誌のバイブルと言われる「ビッ○トゥモロー」で流行りの稼ぎ方を検索する。
東京に引っ越してからはそんなことを続ける毎日を送りました。
前職のマンションを売る仕事は電話営業、FAX、訪問販売などいわゆる泥臭いオフラインの営業が中心。
そのため、そういった泥臭い仕事ではなく・・・
なんとかパソコン1台で効率よくできる仕事はないだろうか?
そんな淡い期待を胸に次のきっかけを探していたことをよく覚えています。
具体的に何からどうすればいいのか右も左も後ろも全くわからない状態でしたが様々なリサーチを続ける中でインターネットを活用したビジネスにはこれから大きなチャンスがありそうだ
そん漠然とした可能性のようなものだけを感じていました。
情報商材を買い漁るノウハウコレクターに片足を突っ込む
あなたはノウハウコレクターという言葉を知っていますか?
たくさんの教材を購入するものの、手をつけず、結局実践しない。
僕もそれになりかけました、というかなってました。
どの商材もすごく魅力的に見えてついつい購入してしまうのですが・・・
しかし、いざ購入してみると何かと手間がかかったり、難しそうに思えてなかなか本格的に実践することができない。
結果、次から次へとノウハウを購入していく日々。
わずか3ヶ月で、総額100万円以上使ったと思います。
結果、目に見えて貯金が減っていることに気づき、一時恐怖を覚えました。
さらには、前年度の収入に対する税金の支払いも来て、たくさん稼いだ翌年収入がガクンと下がった僕には税金を払うのはボディブローのようにじわじわ効いてくる感じだった。
「そろそろどれか一つに絞って腰を落ち着けて実践しなければ・・・」
そんな僕が選んだのが、当時流行っていたツイッターを使ったアフィリエイトでした。
購入していた見込み客であるフォロワーを自動で増やすことのできるツールを使い、どんどんフォロワーを増やし、さらに同じ要領でどんどんアカウントを量産していきました。
当時はこんな単純な作業を繰り返すだけで、ボロ儲けできたので、それはもう楽しかったです。
これで僕は一時月収が30万円ほどになりました。
今思うとそれはただのスパムみたいなもので、当時の僕はビジネスの本質なんて全くわかっていなかったのですが、それでも「ネットビジネスの可能性」を知るには十分でした。
「今はまだ月収30万くらいだけど、このままアカウントを増やして言ったら月収100万円も夢じゃないぞ!」
当時の僕はそう考えて、それはもう毎日一生懸命作業していました。
と、同時に「なんだ、ビジネスなんてクソ余裕じゃねーか」みたいな完全に舐めくさった考えを抱くようになっていたのです。
しかし、そんな僕をある悲劇が襲い、僕は夢から覚めました。
Twitter一斉凍結事件。
その日、それまで僕がせっせと育ててきたTwitterのアカウントがすべて凍結され、文字通り収益が全くの0になってしまいました。
流行りの媒体を使ったアフィリエイトは誰でもすぐに稼げるというメリットがありつつも、参入者が増えた際に飽和したり、もしくは今回のような急な利用規約の変化によっていきなり稼げなくなったりと様々なリスクがあることがわかりました。
そして、ここから僕の人生の歯車は狂い始めます。
一度は「余裕」だとさえ思ったビジネスですが、それから3ヶ月間は何をやっても稼ぐことができませんでした。
アフィリエイトはもちろん、転売、さらにはネットワークまで手を出しましたがどれもこれも上手くいかず・・・本当に、何をやってもダメなんです。
「クソ!なんで前みたいに稼げないんだよ!」
ほんとに、当時の自分には実力と言えるものはなく、一時的なバブルに乗って稼げていたにすぎなかったんだということを痛感しましたよね。
ただ、それでも僕は諦めませんでした。
社畜時代に叩き込まれたのは結果が出ないのなら質より量を増やせという考え。
そこで、ついには睡眠時間を削ってまで僕はビジネスに割く時間をどんどん増やしていきました。
・・・しかし、
いくら寝る時間や食事の時間を削って作業量を増やしても得られる結果はほとんど変わりませんでした。
1日14時間以上作業しているのに、なんとかギリギリ月に5万ほど利益が出る程度。
とてもこれだけじゃ食べていけないので独立前に貯めた貯金を少しずつ切り崩しながらなんとか食いつないで生きていく日々。
毎日寝不足で頭もよく回らない、そんなフラフラの状態で作業を続けていました。
そうして疲労がピークに達したある日、
やってしまいました。
「あああああああ!」
その日1日がかりで書いたアフィリエイト用のブログ記事を保存し忘れたまま
パソコンの電源を落としてしまうというまさかの失態。
結果、苦労して書き上げたその記事は一瞬にして露と消えてしまったのです。
「俺はいったい何をしているんだろう・・・」
このままじゃいけない。
僕は限界を感じ始めていました
4畳半の狭い部屋で毎日14時間以上作業を繰り返す生活を付け出すためには何かを抜本的に変えなければならない・・・
でも、自分ではその方法が全くわかりませんでした・・・。
そこで僕は再びネット上に答えを求め、情報収集を開始したのです。
「Twitterアフィリエイトのように一過性のものではなく
生涯稼ぎ続けられるようなビジネスはないのか」
それが僕の唯一の望みでした。
すると、僕はあるセミナーが開催されることを知りました。
それは、個人で月に100万円以上稼いでいる人たち数名が共同で開催するセミナーで各人がそれぞれのノウハウやまいんどについて話すというものでした。
「ここに参加すればいろんな稼ぎ方が知れて
自分に合った稼ぎ方が見つかるかもしれない・・・」
僕はそう思い、参加を決めました。
参加費は5万円。
当時の僕にとっては決して安くない値段でした。
当時は生活費はギリギリまで節約していたのですが、浮いたお金はすべて教材代などにあてていたので本当に毎日カツカツな状態で生きていました。
1日の食事が6個入りレーズンパンひと袋だけ。
という日もありました。
それでも、Twitterで稼げなくなったのもあり、独立直後にはだいぶ余裕のあるように思えた口座残高はみるみるうちに少なくなっていっていました。
そんな状況に疲弊した僕は正直、
「このセミナーで現状を打開するヒントが見つからなかったらもう再就職するしかないか・・・」
そう思い始めていました。
まさに崖っぷちの状況。
この時の僕はまだこのセミナーで生涯のメンターとなるであろう男に出会い、
その後月収100万円プレーヤーに最速で駆け上がり、人生が文字通り180度変わることになるなんて想像すらしていませんでした・・・。
次回:「27歳にして資産1億円の男「我がメンター」との出会い」
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